2014年12月15日月曜日

Personal Jesus ディペッシュ・モード (Depeche Mode)

Songfacts.comによれば,この曲は故Elvis Presleyの娘Priscilla Presleyが父との関係を綴ったElvis And Meという本をヒントに作られたそうで,作曲者のMartin Goreは,この曲について「他人にとってのキリストになることを歌ったもの」と説明しています。
したがって,その点を考えれば,この曲は博愛主義的に捉えるべきなのでしょうが,個人的にはこの曲からどうしても「よくないもの」を感じてしまいます。つまり下心のある人間が,孤独で弱い立場の人間を食い物にしようとしているように聞こえてしまいます。
According to Songfacts.com, the song was inspired by Priscilla Presley's book Elvis And Me, in which she described their relationship.  Martin Gore who wrote this song explained "It's a song about being a Jesus for somebody else, someone to give you hope and care."
Considering this, the song should be taken rather philanthropic way and there seems no question about it.  I can't help, however, feeling something a bit negative from it.  To me it sounds like someone who has something in their mind is preying on people who feel weak and lonely.
Personal Jesus  (Depeche Mode)
Reach out, touch faith

[Chorus:]
Your own personal Jesus
Someone to hear your prayers
Someone who cares
Your own personal Jesus
Someone to hear your prayers
Someone who's there

Feeling unknown
And you're all alone
Flesh and bone
By the telephone
Lift up the receiver
I'll make you a believer

Take second best
Put me to the test
Things on your chest
You need to confess
I will deliver
You know I'm a forgiver

Reach out, touch faith (x2)

[Chorus:] (x2)


Feeling unknown
And you're all alone
Flesh and bone
By the telephone
Lift up the receiver
I'll make you a believer
I will deliver
You know I'm a forgiver

Reach out, touch faith

Your own personal Jesus

Reach out, touch faith (x4)

その手を伸ばして
信じる心に触れてみろ

[Chorus:]
他の誰のものでもない
お前だけの救い主
イエス・キリストになってやる
祈りを聞いて
いたわって
お前だけを見ててやる
お前の祈りに耳を貸し
辛い時にはついててやるよ

誰も自分のことを知らない
そんな風に思えて来て
この世にたったひとりきり
身も心もひとりぼっちだ
だったら電話のそばに来て
その受話器を取り上げて
俺に電話をかけてこい
そうすれば
信じる気持ちが戻ってくるから

一番にはなれないけど
俺のことを試してみろよ
胸の中に抱えてる
ことをみんな吐き出せよ
そうすれば
あとは俺がやってやる
心の広いやつだって
ことはちゃんとわかってるだろ?

その手を伸ばして
信じる心に触れてみろ
 (x2)

[Chorus:] (x2)


誰も自分のことを知らない
そんな風に思えて来て
この世にたったひとりきり
身も心もひとりぼっちだ
だったら電話のそばに来て
その受話器を取り上げて
俺に電話をかけてこい
そうすれば
信じる心が戻ってくる
あとは俺がやってやる
心の広いやつだって
ことはちゃんとわかってるだろ?

その手を伸ばして
信じる心に触れてみろ

他の誰のものでもない
お前だけの救い主
イエス・キリストになってやる

その手を伸ばして
信じる心に触れてみろ

(余談)

先日personalという単語の語感について話していた際,友人が例としてこの曲を出してきました。その人だけのキリスト(救い主)になって,愛し力づけるという内容だと主張する友人に対し,私はその曲調から,これは企業やメディアや新興宗教が,警戒心のない消費者・視聴者・信者に対して,自分を信頼するよう誘いかける内容だと主張。双方譲らず激論になりました。

最終的には,作曲者のMartin Goreがリード文で述べたように語っているので,友人の主張が正しかったことになるのですが,それだけに曲調が歌詞に与える影響力の大きさがうかがえる好例と言えるような気もします。

9 件のコメント:

  1. この訳書き直して欲しい
    そばにいてやるよ。みたいなニュアンスはそぐわない

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  2. この曲はマリリン・マンソンとジョニー・キャッシュがカバーしていますが、それぞれ正反対の解釈をしていそうですねw

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  3. お前の全てを受け止め許しそして救ってやろう
    というようなニュアンスが確かに欲しいですね
    もっとこうナチにおけるヒットラーみたいなね

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  4. あくまで曲調からの印象ですが、キリストみたいに立派じゃなくてもいいんだぜ、あいつは清く正しいやつしか救わないからな。俺だけはそばに居てやるからなと人間をそそのかす悪魔。みたいな感じ。

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  5. なかなか難しい問題だと思います。
    こういう、どちらとも取れるような詞は、宗教絡みのものにはありがちですからね。
    仏教国である我々日本人にはなかなか想像し難いと思いますが、西洋社会ではキリスト教には現代に於いても絶対的権力のようなものがあるらしいので、真正面から批判的なことを言うのはかなり憚られるものがあるようです。だからたとえ「キリスト教を批判する意図はない」と作者本人が口では言っていても、腹底では真逆なのかもしれませんし…

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    1. コメントありがとうございます。個人的には音楽に限らず凡そアートというものの解釈は最終的に受け手の側にあると思っております。なぜなら人間というものは,AIが自動生成したランダムな言葉の連なりに対してさえ,自分なりの解釈を加えてそこに意味を見出すことができるからです。無論製作者の意図は最大限に尊重されるべきではありますが,一旦自分の外に出てしまったアート(言葉も含む)に対して,その人間がコントロールを及ぼすことはほぼ不可能であり,そういった意味でどのような解釈も等しく成立するように思われます。

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  6. それでも貴方の解釈が正しいと思ってしまうのはボーリングフォーコロンバインでのマンソンのインタビューを観たからなのかもしれない。
    企業の広告に大して警鐘を鳴らしてると言うか、明らかにパフォーマンスではなく紳士に答えてる姿にこいつ頭良いなと、、。

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  7. 車のCMに使われていますが、昔から聞いている私にとっては、なんとピッタリな選曲と感じました。
    つまり、パーソナルジーザスはそれぞれです。好きで信じているものが救世主。アニメかもしれんし、ガンプラかもしれんし、もちろん宗教かもしれんし、そして山登りかもしれんし、車で疾走することかもしれない。個人個人にジーザスは、いる。それで騙されることがあっても、個人の救世主はそれぞれ、という歌だと思ってずっときいています。dmの中では好きな方の曲。

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  8. この曲はリスペクトされてますね。サミー・ヘイガーがCSで歌っていたvを消したのが、残念至極。

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