2013年11月22日金曜日

All By Myself エリック・カルメン (Eric Carmen)

携帯電話がただの夢だった時代には,電話と言えば固定電話だったため,当時は電話に出ないということは①相手が自宅にいない,あるいは②誰からの電話にも出ないという意味でした。
ところが,携帯電話が普及した今日では,発信者が誰であるかは容易にわかります。したがって,電話に出ないということは,おそらく相手が電話に出られないなんらかの状況にある(例えば,エリア外にいる,あるいは相手が電話の近くにいない)という意味でしょう。ただそうでなければ,相手が「こちらの電話」に出たくないということなので,この場合いやが上にも寂しさが増すような気がします。
When a cellphone was nothing but an imagination, the word, 'telephone' represented a land-line phone.  In those days, not answering a phone call meant either the other party wasn't home or they ignored the call no matter who made it.
Nowadays, a cellphone instantly tells us who the caller is.  Now that (not answering your call) probably means they can't answer it for some reason, such as their phone is out of service and they're not around it.  Otherwise, it means they don't want to pick up YOUR call.  I think it would make us feel much lonelier
All By Myself  (Eric Carmen)
When I was young
I never needed anyone
And making love was just for fun
Those days are gone

Living alone
I think of all the friends I've known
But when I dial the telephone
Nobody's home

All by myself
Don't want to be all by myself any more
All by myself
Don't want to live all by myself any more

Hard to be sure
Sometimes I feel so insecure
And love so distant and obscure
Remains the cure

All by myself
Don't want to be all by myself any more
All by myself
Don't want to live all by myself any more

When I was young
I never needed anyone
And making love was just for fun
Those days are gone

All by myself
Don't want to be all by myself any more
All by myself
Don't want to live all by myself any more

All by myself
Don't want to be all by myself any more
All by myself
Don't want to live all by myself any more

All by myself
Don't want to be all by myself any more

若かった頃は
自分ひとりで生きていけると思ってた
ただの遊びで
色んな子と寝てみたりしたけど
そんな時代はもう遠い昔

ひとりぼっちで暮らしてると
時々昔の友達のことを思い出す
それで電話をしてみたりするけど
出てくれるヤツはひとりもいない
みんなどこかに行ってるから

ひとりぼっちで
そばに誰もいない
もうこんな風に生きていきたくない
たったひとりで生きていくなんて
もうこれ以上はイヤなんだ

これでいいんだって
なかなか思えなくて
時々すごく不安になる
「愛」には
なかなか手が届かないし
つかみどころのないものなのに
今でもそれが救いなんだ

ひとりぼっちで
そばに誰もいない
もうこんな風に生きていきたくない
たったひとりで生きていくなんて
もうこれ以上はイヤなんだ

若かった頃は
自分ひとりで生きていけると思ってた
ただの遊びで
色んな子と寝てみたりしたけど
そんな時代はもう遠い昔

ひとりぼっちで
そばに誰もいない
もうこんな風に生きていきたくない
たったひとりで生きていくなんて
もうこれ以上はイヤなんだ

ひとりぼっちで
そばに誰もいない
もうこんな風に生きていきたくない
たったひとりで生きていくなんて
もうこれ以上はイヤなんだ

(余談)

リードでも述べましたが,この今日がリリースされた当時は,例えば「3回鳴らして切る」というような特別な合図を事前に設定しておかない限り,その電話が誰からかかってきたものかは不明でした。

しかし現在では,携帯の場合,発信者の名前まではっきりわかってしまいます。このため選択的に電話に出たり出なかったりということができるのですが,それだけに一層「それで電話をしてみたりするけど,出てくれるヤツはひとりもいない,みんなどこかに行ってるから(But when I dial the telephone, Nobody's home)」の箇所が哀しい。

本当は選択的に避けられていて,そのことを薄々感じてはいるものの,どうしてもそれが受け入れられず,主人公が自分に「相手は留守(=電話に出られない)んだ」と言い聞かせているような気がするからです。

確かに,我々は携帯電話やインターネットを通して,世界中の人々と容易につながれるようになり,世界は以前よりもはるかに「狭く」なりました。ただ,それで人間が孤独から解放されたかと言うと,決してそういうわけではなく,むしろそれだけに「つながれない」ということがある種の「社会的烙印(social stigma)」になってしまったような気がします。

2 件のコメント:

  1. 歌詞を認識してこの曲を聴いたのは初めてです。終始一貫して孤独の叫びなので、脳内で主人公の年代を高く想定しすぎると、悲劇過ぎて聴くのがツラい感じになるような…。

    歌詞と余談を読んでいて、真逆のタイトルの「Too Many Friends /PLACEBO」という曲を連想しました。「友達が多すぎる、決して会うことがない友達が」と歌う(たぶん)SNSなどに関する曲なのですが、結局その曲でもfeeling so aloneと歌われていて、「All by myself」の時代と比べると、まさに過ぎたるは尚…。テクノロジーの進化を情緒的理由で否定する気は全くありませんが、何というか、どこまで行ってもままならないものだなあ、というのが正直なところでしょうか。

    しかし、その進化により「Nobody's home」の箇所がもともと付属していない新たな哀愁を帯びてしまった事はちょっと笑えます。それに「選択的応答回避」に対して希望的解釈に基づいたアプローチを続けると、「選択的不通」という対抗策で返り討ちにされるのも現代の恐ろしいところかもしれません。

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    1. コメントありがとうございます。この主人公,言ってしまえば「女好きのチャラいヤツ」なので,この状況も「自業自得」と言えばそれまでなのですが,その場合,女性から嫌われるのは当然としても,同性からそこまでの扱いを受けるとは思われません。
      にもかかわらず,誰も電話に出てくれないということは,ただの「女好きのチャラい男」だったわけではないはずで,おそらく友人の彼女にも手を出すような,いわば仁義を欠いた「女好きのチャラいヤツ」であったと考えざるを得ません。
      こう考えると,この悲惨な現状もやむなしと思えて参ります。この主人公は「ただの遊びで,色んな子と寝てみたり」せず,むしろ色んな意味で「All By Myself」で若い頃を乗り切るべきだったのかもしれません。

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