2013年7月29日月曜日

Being Boring ペット・ショップ・ボーイズ (Pet Shop Boys)

このヴィデオ,現在の基準からすると若干「不適切」な感じがしますが,その理由はヴィデオをご覧になればおわかりかと思います。ただ決してご覧になるようお勧めしているわけではないので「なんでこんなものを見せたんだ!」というお叱りはご容赦ください。私自身も知らずにヴィデオを見て衝撃を受けた一人なので。幸い周囲に誰もいなかかったので事なきをえましたが,そうでなければかなり恥ずかしい状態になったと思います。
This video is a bit inappropriate in the light of current video ethics.  You don't know why?  Watch it and you'll see.  Don't accuse me of suggesting you so. It's YOU not me who actually push the play button. Actually I was one of victims who was taken by surprise.  I'm so glad that I was alone when I watched it. Otherwise I'd have been much embarrassed.
Being Boring  (Pet Shop Boys)
I came across a cache of old photos
And invitations to teenage parties
"Dress in white" one said, with quotations
From someone's wife, a famous writer
In the nineteen-twenties
When you're young you find inspiration
In anyone who's ever gone
And opened up a closing door
She said: "We were never feeling bored

'Cause we were never being boring
We had too much time to find for ourselves
And we were never being boring
We dressed up and fought, then thought: "Make amends"
And we were never holding back or worried that
Time would come to an end

When I went I left from the station
With a haversack and some trepidation
Someone said: "If you're not careful
You'll have nothing left and nothing to care for
In the nineteen-seventies"
But I sat back and looking forward
My shoes were high and I had scored
I'd bolted through a closing door
I would never find myself feeling bored

'Cause we were never being boring
We had too much time to find for ourselves
And we were never being boring
We dressed up and fought, then thought: "Make amends"
And we were never holding back or worried that
Time would come to an end
We were always hoping that, looking back
You could always rely on a friend

Now I sit with different faces
In rented rooms and foreign places
All the people I was kissing
Some are here and some are missing
In the nineteen-nineties
I never dreamt that I would get to be
The creature that I always meant to be
But I thought in spite of dreams
You'd be sitting somewhere here with me

'Cause we were never being boring
We had too much time to find for ourselves
And we were never being boring
We dressed up and fought, then thought: "Make amends"
And we were never holding back or worried that
Time would come to an end
We were always hoping that, looking back
You could always rely on a friend

And we were never being boring
We had too much time to find for ourselves
And we were never being boring
We dressed up and fought, then thought: "Make amends"
And we were never being boring
We were never being bored
'Cause we were never being boring
We were never being bored

誰かが隠した古い写真と
10代の子がするような
パーティへの招待状が見つかった
「白い服を着用のこと」そんな風に
カッコつきで書いてあった
差出人は人妻で
1920年代の有名な作家
若い頃なら,相手がどんな人だって
刺激を受けることができるんだ
その人が自分から
閉まるドアをこじ開けて
人生を切り開くような人だったら
招待状にはこう書いてあった
「退屈したりなんかしない」って

だってつまらない人間に
なるはずなかったから
好きに使える時間だって
有り余るほどたっぷりあって
面白味のないヤツになるはずなかった
めかし込んでケンカもしたけど
その後はこう考えられたんだ
「水に流そう」って 
それでわだかまりもなかったし
心配したりもしなかった
いつか終わりが来るなんて

駅から列車に乗って町を出た
大きなリュックと不安を抱えて
こう言われたよ
気を付けろ
でないと何もかも失って
大切なものもなくなるぞ
1970年代なんだからな
だけどそんなこと気にもせず
将来の夢を描いてた
踵の高い靴を履いて
色々うまいことやってたよ
締め出しも食らったけど
退屈なんて少しも感じなかった

だってつまらない人間に
なるはずなかったから
好きに使える時間だって
有り余るほどたっぷりあって
面白味のないヤツになるはずなかった
めかし込んでケンカもしたけど
その後はこう考えられた
「水に流そう」って 
それでわだかまりもなかったし
心配したりもしなかった
いつか終わりが来るなんて
みんなこう願ってた
振り返ればいつもそこには頼りになる
誰かがいてもらいたいって

今あの頃とは別のヤツらと
間借りした部屋やなじみのない場所で
一緒にこうして座ってる
あの頃親しくしてた仲間のなかには
今も元気なヤツもいるけど
もう会えなくなったヤツもいる
そいつらとは90年代に別れたまま
考えたこともなかったよ
こんな日が来るなんて
あの頃そうなりたいと願ってた
自分になれた
夢は色々あったけど
それでもお前はそばにいて
自分と一緒に座ってるって
そんな風に思ってた

だってつまらない人間に
なるはずなかったから
自分のために使える時間だって
有り余るほどたっぷりあって
面白味のないヤツになるはずなかった
めかし込んでケンカもしたけど
その後はこう考えられたんだ
「水に流そう」って 
それでわだかまりもなかったし
心配したりもしなかった
いつか終わりが来るなんて
みんなこう願ってた
振り返ればいつもそこには頼りになる
誰かがいてもらいたいって

だってつまらない人間に
なるはずなかったから
自分のために使える時間だって
有り余るほどたっぷりあって
面白味のないヤツになるはずなかった
めかし込んでケンカもしたけど
その後はこう考えられたんだ
「水に流そう」って 
つまらない人間に
なるつもりはなかったから
ちっとも退屈しなかった
だってつまらない人生なんてごめんだって
思ってたから
退屈するはずなかったんだ

(余談)

この曲,聴くと何故か切なくなります。別に友人を亡くしたわけでもないのですが,おそらく主人公が昔の自分(10代の頃の自分)を振り返る曲だからでしょう。

確かに10代の頃,周囲の大人はすべからく皆「つまらない人間」だと思っていました。このまま何もせずウソや世間体などという「汚れ」に紛れた大人にはなりたくない,それくらいなら今の純粋な自分のままでいたいと強く願ったことを覚えています。

ただこうして振り返ってみると「つまらない人間」にはなりたくないとひたすら願っていた当時の自分の方が,圧倒的に「つまらない人間」だったことは間違いありません。

したがって今この瞬間,目の前に当時の自分がいたら「お前は何様のつもりなんだよ」と目の前に正座させて小一時間説教したいところですが,その今の自分でさえ,あと数十年後には「甘いんだよ」と未来の自分に言われるのかもしれません。

ただ「つまらない人間」かどうかは周囲が判断することなので,自分以外の人間から見れば,当時の私も今の私も,そして将来の私も「つまらない人間」なのかもしれません。

それはともかく,今日のように「笑える余談」が書けない日は,何故か正体不明の敗北感が漂います。別に芸人ではないのだから受けを狙わなくても一向構わないはずなのですが何故か悔しい。

無論「つまらない」というのは別に「面白いことが言えない」という意味でないことくらいは,私にもわかっているのですが,それにもかかわらず,言いようのない消化不良感が残ります。

「つまらない人間」という表現の意味を己に問い直したい今日この頃です。

4 件のコメント:

  1. 良い曲の選択と感想でした。私も20~25年前の自分自身に想いをはせたい時がありますから、この曲と出会えた幸せは何にも代え難いですね

    返信削除
    返信
    1. コメントありがとうございます。己の過去を振り返るとそのバカさ加減にイヤな汗をかきますが,この曲はそんな恥ずかしい思い出さえ,ほんの少し輝いたものにしてくれる名曲だと思います。

      削除
  2. 涙が溢れました。昔から歌詞が気になっていたのですが、だいたいこんなニュアンスだろうと・・・。ですが、こちらのサイトを知って、曲を聴きながら読んでいたら、涙が・・・。さらに、余談を読んで号泣しました。
    ノスタルジーに浸れた春の日曜日でした。
    本当にありがとうございます。

    返信削除
    返信
    1. 再生ボタンを押すたびに,胸の奥が痒くなるような切ない気持ちになる名曲です。こちらこそ素晴らしいコメントをありがとうございました。

      削除