ところで,このバンドはアイスランド出身ですが,先日アイスランドの養蜂事情に関する記事を読んところ,彼の地には1998年まで養蜂家がいなかったということがわかりました。その理由については,大昔にアイスランドから蜂がいなくなってしまったからだとする意見があるのですが,仮にそれが本当なら,この曲は蜂の巣といういわば「帝国」の盛衰を描いているわけで,そういう意味で「epic(叙事詩・傑作)」と呼ぶべき曲なのかもしれません。
I think it's quite unique and original among more than 700 songs which I've translated in these 2 years. Many people think the song is pretty literal and it's about a battle between animals and in this case, the protagonist in the lyrics is supposed to be an animal not a human.
By the way, I read an article about beekeeping in Iceland where the band is from and learned there's no bee keeper there before 1998. Some say it's because bees were destroyed by birds and animals in Iceland in the remote past. If it's true, it depicts the rise and fall of an empire (a nest of bees) in Iceland and in that sense, it should be called 'epic'.
Dirty Paws (Of Monsters And Men)
My head is an animal.
And once there was an animal,
It had a son that mowed the lawn.
The son was an ok guy,
They had a pet dragonfly.
The dragonfly it ran away,
But it came back with a story to say.
Her dirty paws and furry coat,
She ran down the forest slope.
The forest of talking trees,
They used to sing about the birds and the bees.
The bees had declared a war,
The sky wasn't big enough for them all.
The birds, they got help from below,
From dirty paws and the creatures of snow.
And for a while things were cold,
They were scared down in their holes.
The forest that once was green
Was colored black by those killing machines.
But she and her furry friends
Took down the queen bee and her men.
And that's how the story goes,
The story of the beast with those four dirty paws.
床の上を飛び跳ねてると
頭の中が動物になってくる
昔ここには動物がいた
その動物には息子がいて
そいつは草を食べてたよ
可もなく不可もなくっていう普通のヤツで
親子でペットのトンボを飼っていた
そのトンボは逃げちゃったけど
土産話をもって戻ってきた
頭の中が動物になってくる
昔ここには動物がいた
その動物には息子がいて
そいつは草を食べてたよ
可もなく不可もなくっていう普通のヤツで
親子でペットのトンボを飼っていた
そのトンボは逃げちゃったけど
土産話をもって戻ってきた
汚れた脚で
ふさふさと豊かな毛皮をまとった彼女は
森の斜面を駆け下りた
そこはおしゃべりな木々の生い茂る森で
色んな鳥や蜂のことを
昔は木々が歌ってた
ある時,蜂が鳥に戦いを挑んで
戦争が始まった
空があまりに狭すぎたから
だけど鳥には下の方から
味方してくれる者がいて
それが四足の動物と
雪がもたらす「寒さ」だった
そしてしばらくの間
辺りは寒波に飲み込まれた
その寒さに怖れをなして
やつらは巣穴に逃げ込んだ
昔は緑だったその森も
今では黒く染まってた
雪のもたらす「寒さ」という
殺戮マシンがやったんだ
だけど彼女とその仲間は
毛皮を着てたから
女王蜂やその他の蜂を
やっつけることができたんだ
これがトンボの土産話
汚れた4本の脚のある
動物たちのお話なんだ
(余談)
この曲を和訳するに際して,アイスランドに少し調べてみたのですが,その過程でかの地にはいわゆる「苗字」がないということを知りました。電話帳も名前の順に記載されているそうで,名前を呼ぶ時は,ロシアの場合と同じく,父親の名前の語尾を変えて名前の後につけそれを呼ぶらしい。
Wikipediaによれば「アイスランド人の父称は、男性の場合「父親の名の属格+ソン(-son)」、女性の場合「父親の名の属格+ドッティル(-dóttir)」となり、それぞれ「~の息子」「~の娘」という意味である」ということですが,この法則に従えば,かの「白鳥ドレス」で私の度胆を抜いたかのbjorkは「本名「ビョーク・グズムンズドッティル」は「グズムンドゥルの娘ビョーク」という意味になる」そうです。
うーん、すごい。アーティストというのはすごい。なぜ、音だけで映像を描いてみせることができるのか。この曲を聞くと、たとえ歌詞がわからなくても、野生動物が森を駆けていたり、丘の上から遠くを眺めていたり、というような絵が自然に脳内に浮かんできます。
返信削除また、歌詞をみると、ジブリのアニメを彷彿とさせるような内容で、これは、変わっていますね。おもしろい。最初の2行では、確かに人間だったようなのに。息子達が小さかった頃、何かやってるうちに、すぐに動物になったり、戦闘ヒーローになったりしていたのを思い出します。でも、よく考えてみると、大人でも(さすがに動物になったりはなかなかしないけど)、頭の中では、ちょっと別の誰かになったり、過去や未来の自分になったりするようなことは、よくあるんではないでしょうか。(・・・え、もしかして、私だけ・・・?)
コメントありがとうございます。海外サイトのコメントにも最初のJumping up and down the floor, My head is an animalというところで,視点の転換が行われていて,まるで子どもが空想している状態だという意見がありました。確かに自分も子どもの頃,空想でよく超能力者になってたいような気がします。
削除ただ,そうありたいとあれほど強く願い,自分なりに「努力」もしたはずなのに,残念ながらいまだに超能力は身についておりません。
このような曲をずっと探してました!
返信削除たまたまJ waveのラジオ放送を聴いていたらカッコいい曲だなと思い、one republic の対訳でこのサイトに出会ったので、このサイトで探したらようやく見つけました。
ありがとうございます!
コメントありがとうございます。お役に立ててなによりです。コメントを拝見し改めてこの曲を聞き,どこかで耳にしたような気がするけれど実は他のどれにも似ていない不思議な魅力を持った曲だと感じました。
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