2013年4月30日火曜日

Let The Flames Begin パラモア (Paramore)

歌詞を理解する上でもっとも大きな障害のひとつがメタファーでしょう。これまで歌詞の中で何度もdanceやsingといった単語を見ましたが,ダンス・ミュージックの場合を除くと,それが「規定のまたは即興の動きあるいはゼスチャーを使って音楽に合わせてリスミカルに動く」や「楽音に合わせて一連の言葉や音を口に出す」という意味であったことはほとんどありません。この曲でもdanceとsingが登場しますが,どちらも音楽とは関係がありません。
Probably metaphor is one of the toughest obstacles in understanding song lyrics.  I've seen words like 'dance' and 'sing' so many times in many song lyrics.  Except for the cases being used in dance music, very few of them mean just "to move rhythmically usually to music, using prescribed or improvised steps and gesture" and "to utter a series of words or sounds in musical tones".  In this song, I think neither of them has nothing to do with music.
Let The Flames Begin  (Paramore)
What a shame we all became such fragile, broken things.
A memory remains just a tiny spark.
I give it all my oxygen,
To let the flames begin
To let the flames begin.

Oh, glory.
Oh, glory.
This is how we'll dance when,
When they try to take us down.
This is what will be oh glory.

Somewhere weakness is our strength,
And I'll die searching for it.
I can't let myself regret such selfishness.
My pain and all the trouble caused,
No matter how long
I believe that there's hope
Buried beneath it all and
Hiding beneath it all, and
Growing beneath it all, and...

This is how we'll dance when,
When they try to take us down
This is how we'll sing it.
This is how we'll stand when
When they burn our houses down.
This is what will be oh glory.

Reaching as I sink down into light.
Reaching as I sink down into light.

This is how we dance when,
When they try to take us down
This is how we'll sing it.
This is how we'll stand when,
When they burn our houses down.
This is what will be oh glory.

残念だし悔しいよ
こんなに弱くてもろいものに
みんななってしまったなんて
思い出はまだ小さな火花だけど
ありったけの空気を送って
燃え上がる炎にしてみせる

どうだ
こうやって立ち向かってみせるんだ
アイツらが痛めつけようとかかってきても
見ろよ 負けたりするもんか

こんなにもろくて弱い存在だけど
それが武器になる場所だってきっとある
だからそこを死ぬまで探し続けるよ
ただ悔やんでるわけにはいかないんだ
もう起こってしまったんだから
ああいう身勝手もこの辛さもそしてどんな問題も
時間がかかっても諦めない
きっと望みはあると信じてる
今はすっかり埋もれてて
隠れしまっているけれど
それでもそこで少しずつ大きくなってるところだから

光に向かって身を沈めれば,きっとそこへ手が届く
光の中へ向かっていけば,きっとそこへ辿りつける

こうやって立ち向かってみせるんだ
アイツらが痛めつけようとかかってきても
見ろよ 負けたりするもんか
本当に大切にしているものを
アイツらにめちゃめちゃにされたとしても
見ろよ 負けたりするもんか

(余談)

歌詞に登場する「When they burn our houses down.」という箇所。このhouse,homeほどではないにしろ手強いメタファーです。文字通り「家」なのですが,家を「安心できる場所」という意味で使っているのか「財産」という意味で使っているのかはっきりしません。したがって訳文ではその両方の意味合いをもつであろうと思える「本当に大切にしているもの」と訳しました。

(余談)

この歌詞,私は「人間は自分で思うよりもずっと強い」的イメージで捉えていて,和訳もその解釈で行ったのですが,これとは逆に「周囲とあまりに違っているために世間に受け入れられず,そのため自分の値打ちを証明しようと躍起になっている人間を描いたもの」と言う人もいます。

確かにそういう解釈も可能ですし,それはそれで面白いとは思うのですが,それではParamoreの芸風(といってもまだ数曲しか知らないのであまり確証はありませんが)にあまり合わないような気がします。この辺り,Paramoreファンの方に是非お聞きしてみたいところです。

じつはこの曲,別の曲の本歌となっているようで,最初はそちらの曲を取り上げるつもりでした。ただこの曲を理解しない限り,そちらの曲を解釈するのに都合が悪いとわかったため,急遽こちらを和訳することになりました。

5 件のコメント:

  1. お、Paramore
    あいつらとは見えない不安やプレッシャーとかなんでしょうか・・・
    弱い、それが武器になる場所・・・あったらいいですねえ

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    1. コメントありがとうございます。アイツらが指すものについては,SUTAN様が仰るように,見えない不安やプレッシャーという説もございますし,人生で実際に出会う心無い人々であるという説もございますが,最終的にはお聴きになる方がお決めになればよいのではないかと存じます。
      弱点が武器になる実例は残念ながら私もあまり耳にしたことがありませんが,武器が弱点になる例なら思い当るフシがございます。
      実は以前集中的に「ある種の原書」を読み漁ったため,「斯界」の英単語及び英語表現には人並み以上に詳しいと自負しております。ために時折その件について語りたくなるのですが,それを公に披露してはむしろ逆効果であることは明らかです。これこそまさに「武器が弱点」の実例ではないでしょうか。

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  2. はじめまして。
    私、Paramoreが好きで、実はこの曲もお気に入りの一つなんですが、いまいちReaching・・辺りの文章が私には訳しきれなかったんですが、ここを見てはっきりしました。

    後、彼らのライブも見に行った事があるんですが、この曲のパフォーマンス時ってすごく宗教的で、到底私には解釈できない曲なんだろうなと笑

    でもようやく、周囲とあまりに違っているため・・・自分の値打ちを自分で証明しようとする人って解釈には納得いきました。私の場合、生きるには、必死になって行動しなきゃいけないって事だと思っていたのですが。浅いですね笑

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  3. すいません。上の者です。
    周囲とあまりにも違うというのは、親とか本人の持病により、社会から孤立させられるせいなんだろうなと思いました。

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    1. コメントありがとうございます。人間はひとりひとりが別の生命体であり,それぞれ「自分」という宇宙の中で暮らしています。したがって,誰しも「それまでの自分の経験」を基準(ものさし)にしてしか物事をはかれません。

      このものさしを「偏見」と呼ぶか「価値観」と呼ぶかはその時その時によって違うと思いますが,これは同じ人間でない限り,ある程度仕方のないことでしょう。無論「自分の外側からの視点」を知識によって獲得することも可能ですが,それにもやはり限界があります。

      自分の経験や価値観に照らして考えれば,明らかに「敵対行為」「危険の兆候」と考えるべき相手の行動が,相手の持病による現象に過ぎないと理解した上で,それを受け容れることは決して容易ではありません。

      個人的にはなるべくその「ものさし」に縛られず行動するよう心がけていますが,それでも「受け容れがたい何か」は残ってしまいます。いわば「社会的存在としての自分」はそれを受け容れているが,「生物としての自分」がそれに抵抗している状態です。

      その上で相手を受け容れることができるかどうかは,最終的には相手をどこまで信じきれるかにかかっていると思いますが,その時の基準になるのも,また自分の「ものさし」です。その「ものさし」ではかり,相手に対するプラス評価の部分がマイナス評価の部分よりも大きい場合,すなわち(武器)>(弱点)であった場合にのみ,相手を許容できるような気がします。

      この場合,社会(あるいは周囲,この場合は私個人)の側に100%の非があるという文脈で論を展開するべきなのかもしれませんが,そこまで言い切ることはできません。拒絶する側にも全く理がないわけではないと思うからです。そして残念ですが人間である以上,この「食い違い」をゼロにすることはおそらくできません。

      したがって,最終的には,社会と個人の双方が譲歩し合い,線を引くことになるのでしょうが,現実には個人の側だけが大幅に譲歩させられることが殆どで,それがいぬ様の仰る「社会から孤立させられる」ということでしょう。

      これに対して,この「受け容れがたい何か」をある程度まで許容し,譲歩できる社会こそが,真の文明社会と言えるのではないかと思っています。

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